デジパ在籍8年、その半分が海外からのリモートワークという働き方を選んだデザイナー西山に、海外移住の理由や海外でのスタートアップについて聞きました。

西山 由利子1980年生まれ、デザイナー。美大卒業後、フリーランスの傍ら大学講師を務める。2008年デジパに入社した後2012年にデジパ在籍のまま海外に拠点を移動。2014年、ニュージーランドでシルクスクリーン関連の事業をスタートした。

デジパとの出会いとリモートワークのはじまり

(聞き手/デジパ:木下)

木下:デジパとの出会いを教えてください。

西山:以前は、フリーランスとして主に大学で仕事をしていました。当時まだ珍しかった、学科単位でのWebサイトの立ち上げを担当したのをきっかけに、徐々に講師としても授業を担当するようになり。その後色々な大学にも声をかけてもらい、学生のサポートの傍ら最新の作業環境・機材を使わせてもらえて、はたから見たら私はめっちゃラッキーな人だったと思います。でも、ある時からデザイナーという立場で教えている中で、現場経験値が低い事実が気になりはじめました。現場で経験を積んできたデザイナーに教わるのと、そうでないのとでは学生の受け取り方はだいぶ違うだろうな、と。そこで「よし、荒波に揉まれよう」と大学の外に出ることを決めました。就職だけが選択肢では無かったけれど、大学を離れて経験値をどんどん獲得していこう、そのために何をするかを絞っていった結果、やはり一度すごいスピード感の中で仕事をして来た人たちの中で学ぶのがいい気がすると思い、ひたすら会社を探して見つかったのがデジパでした。

木下:拠点を移すことになったきっかけは何だったのでしょうか?

西山:そうですね、震災があったことは外せません。
当時のことは一言では語れないけれど、震災の日の夜に自宅近くの避難所で自分ひとりと猫とで一夜を過ごした後、自宅の仕事場に戻った時に新しく何かを創ることがうまくできなくなってしまったんです。そこで、会社に相談して、一時的に実家がある岡山に仕事道具と最低限のものと猫を連れて拠点を移すことにしたんだけれど、それが私にとって初めての「リモートワーク」でしたね。

木下:震災後に、初めてのリモートワーク。

西山:Macを箱に詰めてヤマトのお兄さんに渡して自分は猫と一緒に新幹線に乗ったんだけど、岡山に着いた数時間後には預けた荷物が届いた時、その身軽さにものすごい感動して「こんなに簡単に拠点の移動ってできるんだ」と実感したんです。

木下:そのリモートワークが原点だったんですね。

西山:でもその時は全然NZに移るなんてことは考えていませんでした。
1ヶ月後くらいに東京に戻ってすぐ、とにかく前に進みたくて、当時いち早く桐谷さんが企画していた被災地へのボランティアチームに参加させてもらって宮城の石巻に行きました。
津波が全てをさらっていった光景を目の当たりにして感じたんだけれど、いま目の前で繰り広げられていることは誰にでも起こり得るし、明日そうなってもおかしくない。本当に困った時に、誰かの助けが必要なことって「寒い」とか「お腹が空いた」とかそういう生きるのにものすごい基本的なことですよね。それを乗り越えたらまた身一つで生活を成り立たせていかないといけない。ふと、そういう時に私は日本語でしかコミュニケーション取れないということが、ものすごいディスアドバンテージであるということに気づいて、焦りが生まれたんです。それ以外にも、身体的にも、現地で会った方々との会話とか、とにかくたくさん考えることがありました。大学で教えていた時と似ている感覚で、自分にはまだ足りないものがある、ここでこうしていてはいけないと思ったら止まらなくなってしまって、そこからどうすればいいかを具体的に考えていきました。NZにどうしても行きたかったわけではなく、最終的に現実的な選択肢として残ったものがNZだったんです。

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ついに出発。「行ってきます」

「ニュージーランドで仕事続けてもいいですか」

木下:当時、NZに行くことをデジパのメンバーの反応はどうでしたか?

西山:「デジパは卒業になるけど頑張っておいで」と言われることは覚悟した上で、会社に私の考えを伝えました。でも、もしかすると受け入れてもらえるかもと、と期待している自分もいて(笑)

木下:私も期待してしまうと思います(笑)

西山:デジパのメンバーとしてNZで仕事をするという可能性を一緒に考えてもらえるとしたら、何がベストなのか、とことん考えていました。そして、「ニュージーランドで仕事続けてもいいですか」とまるで突拍子もないことを、当時の直属の上司と社長の桐谷さんに伝えたら、「ええんちゃう?」とふたつ返事でOKをもらえた時は、びっくりというか何というか(笑)「場所や空間にとらわれない」っていう会社のスローガン、そのものだなと思いましたね。

木下:なぜNZを選んだのでしょう?

西山:英語圏であること、そしてやはり時差は考慮しました。あとは日本人はもともと島人。だから何となくそう感じたとしか言えないけれど、同じ島国のNZに惹かれました。はじめは1年で日本に帰るつもりでいました。当たり前ですが、その1年で分かったのは"英語圏でもデザイナーとしてやっていけるようになる"のに1年は無茶だということ(笑)。それから、NZでのワークビザに挑戦する気持ちが強まった理由として、ここでは全てが子ども中心だということは外せないと思います。何よりもどんな時も、子ども、ベイビーを抱えているお母さんが一番と言う考え方がナチュラルに存在していて、そんな様子を日常の中で何度も何度も見て、涙が出るくらい感動したんです。デジパの面接で「夢は何ですか?」と質問されて、私の答えは「デザイナーとして働く母になること」だった。だから今この環境でこの仕事をしながら自分がハッピーでいられる場所を選ぶことができるのは、デジパと仕事をしていたからだなと、改めて思います。

NZではじめたシルクスクリーンのお仕事

木下:最近シルクスクリーンのお仕事をNZで始めたと聞きました。

西山:そうなんです。シルクスクリーンは、ずっと前からメソッドが変わっていない印刷の代表的な技法の一つで、私は大学で初めて学びました。その後も興味はあったんだけれど、それをするためにはアトリエのような大きな場所の確保が必要なので、東京で普通の一人暮らしの領域内でやるのはまず無理でした。でもNZでWebデザインの仕事をしながら暮らしていくうちに「待てよ、ここには場所がたくさんあるぞ」と思って(笑)また私のパートナーは大工さんなのですが、フィジカルな仕事をしている人たちの様子をそばで見ていると、自分がいかにデジタルの世界でだけ仕事をしているかを痛感して。私のクリエイティブな生活にも、もう少しフィジカルな要素があったらいいなと思ったのもシルクスクリーンを始めるきっかけでした。

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シルクスクリーン作業中

木下:具体的にはどういうサービスを提供しているのでしょうか?

西山:シルクスクリーンには製版という一番最初の工程があるのですが、その工程をアウトソースしたい人に向けてデジタル製版サービスを提供しています。お客さんから届いたデザインどおりに製版し、すぐに印刷できる状態で送ってあげるというサービスです。
デジタル製版は日本ではもはやスタンダードですが、NZではまだほぼ100%アナログ製版しか選択肢が無いんです。アナログだと各工程にかなりの時間を要する上に多くの薬品を使いますが、その割にうまくいったり失敗したり、製版結果が安定しないんですよね。そこでデジタル製版のための機材を日本からオーストラリア経由で輸入しました。
私自身が自分の制作活動のためにこのマシンを欲しかったし、まだ誰も持っていないことが分かったら、NZでこれを最初に持ってる人になりたかったんですよね(笑)
例えば私がハンドスクリーンプリントしたキッズ用の商品を売り始めました、といってもいきなりそれで生活が立つというほどハンドクラフトの世界は甘くありません。でもこのマシンを持っていることで、制作活動をスピードアップさせたりクォリティをあげることは可能です。コスト削減にもつながります。私がこのマシンを制作に取り入れることでクリアできる問題が多くあるのと同じように、他のシルクスクリーンプリンターたちにも多くのメリットがあると確信しているし、ビジネスとして成り立つと思ったんです。
すごく新しいことにチャレンジすることになることは分かってはいたけれど、はじめてみたらその通りで、モノの価格を一つ決めるだけでもすごく難しいし、やはり商習慣の違いも大きいです。色んな人に話を聞いたり本を読んだりして試行錯誤しながらやっています。

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南島最大級のクラフトマーケットに出展

木下:これからそのお仕事をどうしていきたいですか?

西山:この国で一番最初にこのサービスを提供している、ということをもっと自分のアドバンテージとして活かしていきたいです。当たり前のことですが新しいサービスって「新しい」のでみんな知らないんです。知らないことは、ネットで検索をしないんですよね。サービスを比較する対象もいないですし、デジタル製版という聞きなれないフレーズに警戒心を持って見る人も多いです。だからこちらからプッシュしていくしかないのですが、そこが一番苦労しているところです。
試行錯誤をしながらサービス提供を初めてしばらくですが、ようやく少しずつこのサービスについて知られるようになってきて、コンスタントに注文を受けるようになってきました。
今後もどうやって認知してもらうか、ということから始まり、手を緩めずにたくさんの人に知ってもらい、口コミなどで広げてもらう、ということを最低でもあと1年は続けなければと思っています。
現時点ではアナログ製版の大変さを知っている既存のシルクスクリーンプリンターをメインにマーケティングしているけれど、今後はシルクスクリーンを自分がやるなんて全く想像もしていなかった人とか、全然興味なくて知らないという人たちにも向けて商品開発やマーケティングをしていこうと考えています。シルクスクリーンを使うとやりたいと思っていたことがこんなに簡単にできるんだとか、やってみたら楽しいし使えるということを知ってもらえたらと思っています。このサービスが認知されてくるといずれ競合が出てくるかもしれないけれど、そうなった時こそ私でしか提供できないことをしっかり持って、サービスを提供していけたらいいなと思っています。

木下:"私にしか提供できないこと"ってなんでしょうか?

西山:日々お仕事をしていると、時々すごくポジティブなフィードバックがもらえて励みになるのですが、その中に自分は日本人の感覚で仕事をしているからこういうフィードバックをもらえるんだな、と気付くことがあります。例えば、お客さんから届いたデザインをそのまま機械的に製版するのではなく、何かデザイン内で意図が不明瞭な部分を見つけたら、本当にこのまま製版していいのか?このドットは意図してつけているのか?という確認を怠らないように気をつけています。梱包一つにしても、配送段階で版にダメージがないように気をつけるとか、そういう細かいところを無意識のうちにみているんだと思います。それがよく言われる「日本人ならではの細やかさ」なのかなと思いますし、今後自分がビジネスをやっていくにあたって、そこはなるべく妥協せず、強みにしていきたいと思っています。

"自分らしく生きる"ということ

木下:西山さんにとって、"自分らしく生きる"とはどういうことですか?

西山:私は理詰めではなく直感で生きてきたと思うし、これからもそうしていくと思う。自分の直感に従って「正しい」とか、「こっちの方が面白そう」とか、仕事もプライベートも自分に正直にいられることが"自分らしく生きる"ことだなぁと思います。今までそれをどうやって実現してきたかというと、「人」につきると思っています。私は周りの人にものすごく恵まれてきたし、私が「こうしたい」って直感的なことを言っても、「英語が全く喋れなくたって行って来い」って言ってくれる周りの人たちとの関係が私を生かしてくれているし、ありがたいといつも思っています。ちなみに、昔、桐谷さんが言ってくれた「運ってある程度の年からは自分で獲得してるんやで」という言葉が忘れられなくて、今でも頭の中の「宝物入れ」にあります。必要な時に時々開けて自分に「よしよし」って言って大事にしています(笑)

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自宅から歩いてすぐのサムナービーチ